築城年代は定かではないが山ノ内氏によって築かれた。 山ノ内氏は山ノ内首藤俊通の子経俊が奥州討伐の功により源頼朝から会津郡伊北郷一帯を賜ったことに始まるが、山ノ内氏がいつごろ横田の地に下向してきたのかは詳らかではない。
山ノ内氏は横田中丸城を居城として代々続き、戦国時代末期には葦名氏に従っていた。天正17年(1589)伊達政宗は会津に侵攻し、葦名氏を摺上原の戦いで敗って滅亡させると山ノ内領にも侵攻する。山ノ内氏は中丸城などに籠もって戦ったが、天正18年(1590年)豊臣秀吉による奥州仕置きによって所領を没収され山ノ内氏勝は越後に去った。
横田中丸城は只見川南岸に聳える標高546.7mの要害山に築かれている。現在は麓から登山道が整備されている。
山頂を主郭とする城で北西山腹に掛けて多段の帯曲輪を設けているのが特徴で、その最も下部に大手門とされる虎口がある。
主郭は北西に枡形虎口を設け、南は堀切が一条あってさらに一段小さな曲輪がある。北西側に多段に帯曲輪があり一部は土塁がついて横堀状となる。大手門とされる部分は自然の谷間で両側が広く張り出し横矢が掛かりやすくなっており、虎口には石積が残る。
北麓に根古屋があったようで、一段高く線路の南側に山ノ内氏勝の墓が建てられている。
伊夜彦神社への入口近く、国道の南側に案内板が設置されている。駐車場は神社側にある公園の駐車場が利用できる。登山道は案内板のところから山に入り線路を渡ってまっすぐ山に登っていく踏み跡をたどれば次第に明確な登山道になっている。
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