築城年代は定かではないが山ノ内氏の家臣管家太郎左衛門善高の城であった。
天正17年(1589年)山ノ内氏の居城である中丸城が落城した後、城を脱した山ノ内氏はこの中山城に籠城して伊達氏に抵抗する。しかしながら豊臣秀吉による奥州仕置きによって所領を没収された山ノ内氏は越後に去った。
大塩中山城は大塩集落の北背後に聳える標高664.7mの要害山に築かれている。
単郭の城で山頂を中心に東西に段曲輪を配している。小規模な段曲輪ながら明瞭な虎口を有しているのが特徴で、天正期に改修されたものと推測される。大手は南西尾根、搦手が南東尾根と伝えられているが、現状の構造では東のほうが大手のように感じる。
搦手とされる南東尾根は大手とされる南西より険しい細尾根であり堀切などはない。一方南西の大手側は搦手ほど険しくはないが、途中には一騎駆けのような細尾根も有する。またこちら側には標高500m付近に一条堀切と思われる地形がある。
宇奈多理神社の南東側辺りが管家氏の居館跡とされるが、特に何もなさそうである。
道はない。大手方面から登り搦手に降りたが、搦手側は険しい。 案内板は宇奈多理神社の東隣にある「天然の炭酸水井戸」のところに設置されている。
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