詳細不明。一説に渕牛館に籠もった厨川貞任に対抗するための館跡と伝えられる。
陣館は標高270m付近から南南東に向かって伸びた丘陵付近に築かれているという。渕牛館を見た後に国道沿いに標柱が建っていたので急遽館跡を散策したのだが、正しい位置を把握しきれておらず、実際に見ていたのは標高270m付近から東へ伸びた尾根の先端頂部付近である。
この辺りは城域に含まれていない部分である。堀切、横堀らしき溝があるが笹で覆われているために判然としない。堀切から続く溝は途中二つに分かれてまた一つにくっつくような形状をしており、これは山道の可能性が高い。ということでこの堀切も切り通しの跡ともとれる。
国道457号線沿いに標柱が建っている。ここから山に入る林業作業用の道があるが、城跡に通じるかどうかは不明。
最寄り駅(直線距離)