築城年代は定かではない。
康正3年(1457年)蠣崎蔵人の乱で館主天魔館五郎右衛門は蠣崎方として根城南部氏と戦ったが敗れたという。
天正年間(1573年~1592年)には天間館源左衛門がいて、九戸政実の乱では九戸方として七戸城で戦ったが敗れた。
天間館は坪川に面した段丘北端に築かれていた。
館は東郭、中郭、西郭の3つの曲輪で構成していたようである。現在は数件の民家がたっており遺構は明確ではないが、堀跡の名残と思われる切岸が若干確認できる。
家ノ下公園の西側のあたり。公園に駐車場がある。
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