陸奥 大越城むつ おおごえじょう

城郭放浪記


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陸奥 大越城の写真
掲載写真数
形態
山城(562m/120m)
別 名
鳴神城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀,井戸
城 主
大越顕光,大越甲斐守,田村顕康
歴 史

築城年代は定かではないが、永禄9年(1566年)大越紀伊守顕光によって築かれたと伝えられる。大越顕光は三春城主田村清顕の重臣で四天王の一人と称され、約一万石の所領を持っていたという。

天正14年(1586年)田村清顕が嫡子なく没すると、伊達派と相馬派にわかれて争われた。大越紀顕光は相馬派であったようで、天正16年(1588年)伊達政宗の家臣伊達成実によって攻撃されたが落城することはなく、城下町に放火されただけで撃退した。

その後、大越顕光は岩城常隆に従っていたが、天正17年(1589年)伊達政宗と岩城常隆が開戦するにあたり、顕光が伊達氏に帰順しようとした動きが露呈し、岩城氏に捕らえられ切腹した。顕光のあとは大越甲斐守が継いだが、伊達領となった後は田村宮内顕康が城主となった。

説 明

大越城は大越駅の南西に聳える標高562mの館山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。

大越城は東西約500m、南北約500mと規模が大きく切岸は高く堀切や土塁、井戸なども残っていて見所の多い城である。

主郭は山頂にあり南端に土塁、櫓台のような一段小高くなった土壇に大越神社が鎮座している。この本丸を中心に南に「二の丸」、北東尾根に「三の丸」、「十兵衛館」、北東尾根に「馬之丞館」「東の館」、南東尾根に「西の館」、南尾根に「館」と多くの曲輪群がある。

おそらく大手と思われる見渡神社から続く道は馬之丞館と東の館の間にある堀切を兼ねた東門へと続く。この道の途中には矢穴のある石が組まれている部分がある。対して搦手と思われる西の林道から続く道は二の丸と館へ通じる尾根に虎口があり、西の谷へは細く伸びた尾根に土塁を設けて備えている。この先にある館には枡形状の虎口が残っている。

案 内

県道57号線沿いにある大越小学校と大越郵便局との間に鳴神城(大越城)の案内板が建っている。ここから奥へ入った所から登山道があり、車は近くに路駐できる。登山道近くにある畑の所から既に城域である。

もう一つ搦手側の林道からも道が付いており、本丸へ登るだけならこちら側からの方が楽だが、遺構は概ね東側に残っており、全体を見て回るなら東から登っていくほうが良いだろう。

最寄り駅(直線距離)
0.7km 大越駅
4.0km 菅谷駅
4.5km 磐城常葉駅
7.2km 神俣駅
8.0km 船引駅
所在地/地図
福島県田村市大越町上大越字住追王町
付近の城(直線距離)
2.5km 陸奥 牧野館
2.6km 陸奥 朝霧城
2.7km 陸奥 北館
3.1km 陸奥 沢目木館
3.9km 陸奥 早稲川城
7.0km 陸奥 常盤城
7.5km 陸奥 船引城
最終訪問日
2014年11月
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