築城年代は定かではないが葛西氏によって築かれたのが始まりとされる。
戦国時代には桃生郡主であった山内首藤氏の居城となっていた。しかし、永正年間(1504年~1521年)に山内貞通と石巻城主葛西宗清の間で永正合戦と呼ばれる戦いが起こり、貞通の子知貞のときに葛西氏に滅ぼされた。
山内氏の後は葛西氏の家臣葛西守重が入ったと伝えられる。
七尾城は北上川に面した標高80mほどの丘陵に築かれている。もともとは追波川が流れていたが、明治以降北上川の付替工事が行われ、現在の流路になっているようである。
主郭は東端最高所で北が一番高く南に向かって段を築き南端に虎口を開く。主郭下は西の鞍部に向かう尾根に広い曲輪を設けている。
主郭の西の峰、標高70mから西へ続く峰に西曲輪群があり、西端から北伸びる尾根を二重堀切で遮断、西へ伸びる尾根は横堀で遮断し、横堀の南端からやや城内側に竪堀を落としている。
主郭から北西に伸びた尾根にも複数の堀切で区画した曲輪群が連なっている。
現地案内図で「大門」「枡形」と表記されている谷間の部分には、谷を塞ぐような土塁があり中央が開口する。一見砂防ダムのようでもあるが、東の主郭側にはこの土塁部分と連動するように竪堀が設けられており、城郭遺構とみて間違いないだろう。
主郭の北麓、峠路のところに案内板が設置されている。案内板の背後の尾根を登って行けば主郭に達する。
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