築城年代は定かではない。『笠原氏系図』では正平年間(1346年~1370年)に笠原近江守重城のときに大崎家兼とともに東北に下ってこの地に宮崎城を築いたという。
笠原氏は大崎氏家臣で、豊臣秀吉による奥州仕置きによって改易となった。しかし天正19年(1591年)に大崎・葛西一揆が勃発すると、城主笠原(宮崎)民部小輔隆親は一族を中心に宮崎城に籠城し、伊達政宗に徹底抗戦したが敗れて落城した。
宮崎城は加美町役場宮崎支所の北側にある標高150mほどの山に築かれており、現在は整備されている。
主郭は山頂にあり、西側に土塁を残す。東へ伸びた尾根の先に堀切があり、その先に二郭がある。
主郭の北側には南北に土塁があり、東側面に広い曲輪が展開している。
主郭から南へ伸びる細い尾根を下ると山麓付近に曲輪群があり、西側を切岸としている。南端には巨大な堀切があり、その手前に大手口とされる屈折した虎口がある。大手口の外側は堀で現状湿地帯になっている。
熊野神社に続く林道がそのまま城の北側を通っており、北側に案内板が設置され近くの余白に駐車可能。
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