陸奥 金木館むつ かなぎだて
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築城年代は定かではない。天正年間(1573年〜1592年)には対馬右衛門太郎が居て、天正16年(1588年)に津軽為信の飯詰城攻めたとき道案内をした人物とされる。また、それ以前には浪岡城北畠氏の家臣金木弾正忠が居たとも云われるが定かではない。
金木館は「高屋敷」と呼ばれる微高地に築かれていたという。現在は住宅地になっており遺構はない。