築城年代は定かではないが一方井氏によって築かれたと云われる。
一方井氏は安倍貞任の庶流安東氏の一族と云われるが詳らかではない。天文年間(1532年~1555年)には一方井丹後安政の居城で、安政の女は石川高信の側室となり、後に南部信直となる男児をこの一方井城で産んだとされる。
天正20年(1592年)南部氏の諸城破却令で「一方井 山城 破却 安俵孫三郎持分」とありこの頃廃城となった。
一方井城は一方井小学校の西側、黒内川に沿って南へ伸びた丘陵に築かれており、現在は公園として整備されている。
主郭とされるのは丘陵の南端部分でその北側に二郭、三郭とされる曲輪群があり、北尾根は堀切だと思われるがほぼは高い切岸となっている。主郭より北の二郭、三郭のほうが高くなっている。
主郭の北端部の高土塁の上に神社が祀られており、この背後から堀が西側に回り込んでいるが、途中で途切れている。現状ではやや不自然な構造に見えるが、おそらくこの堀がそのまま尾根を遮断する形で伸びていたのであろう。
入口は南の県道、黒内川に架かる橋の東側にある。民家の間を少し入った所から山上に作業道が伸びているが、入口付近に駐車可能。
橋を渡った西側には「南部信直公誕生之地」の石碑がある。
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