築城年代は定かではない。文明15年(1483年)岩城下総守常隆が白土城より本拠を移し、岩城氏の居城となった。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原北条攻めで、岩城常隆は小田原に参陣したため所領を安堵された。常隆の後は佐竹義重の子貞隆が養子となって家督を継いでいたが、関ヶ原合戦の後に改易となった。
慶長7年(1602年)鳥居忠政が10万石で岩城に入部した。このとき大館城に入ったが、後に平城を築いて居城を移し廃城となった。
改易となった岩城貞隆はお家再興を目指し、大坂の陣で本多正信に属して戦功を上げ、信濃国中村に一万石で大名に復活、その後は出羽亀田藩として明治まで続いている。
飯野平城は大館公園として整備されている。
山全体に曲輪が造成されていたと思われるが、宅地などになっている。主郭は山頂にあり東西に長く広い曲輪で切岸は高い。土塁は見当たらないが忠魂碑などがたっている。東下は湯殿山神社の境内となっている。
北麓の道路に入口があり、主郭のすぐ下まで車で登る事ができる。
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