築城年代は定かではない。 城主は九戸南部氏一族の姉帯氏という。
天正19年(1591年)九戸の乱で姉帯大学は弟の姉帯五郎兼信とともに姉帯城に籠もり、豊臣秀吉の軍勢と戦ったが大半が討死して落城したという。
姉帯城は馬淵川の北岸にあり、南側は馬淵川によって削られた急峻地形で北側は大きく谷が入り込んでいる。
姉帯城は東西二郭で構成されている。 西郭は現在公園として整備されており、東側に土塁と堀切が残る。 東郭は緩斜面の平地が続き、東端に二重堀切がある。
国道4号線から県道15号線に入って東進する。しばらく進むと左側に橋が架かっているのでそれを渡ると姉帯城への道標が出ている。 道標に従って進んだ先に三台程度駐められる駐車場がある。
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