延暦年間から弘仁年間(782年〜824年)の頃に蝦夷の酋長遠田公五月によって築かれたとの伝承があるが定かではない。
天正19年(1591年)九戸の乱で、城主小鳥谷摂津は姉帯城に籠もり豊臣方の軍勢と戦ったという。
五月館は平糠川の西岸にあり、川に沿って北東に伸びた丘陵に築かれている。 館の西下は旧奥州街道が通っている。
五月館は南西背後に二重堀切を設けて遮断して、北東に向かって三段の平地が設けられているという。南西端には現在水道施設が建っている。曲輪内は笹藪で歩く気が全く起こらないが傾斜しているように見える。
国道4号線のバイパスではなく旧国道側を南下する。小鳥谷小学校付近で道は左カーブとなるが、右奥に向かって伸びる道があり、それが旧奥州街道。ここを進んで行くと峠にさしかかるが、その左手前が館跡。
最寄り駅(直線距離)