中世には小湊館が築かれていた。
慶長12年(1607年)弘前藩の代官所が置かれたが、明暦2年(1656年)津軽信英が黒石、平内、上野国大舘あわせて五千石を分知されて旗本となったことにより、黒石領平内千石を管理するため平内代官所になった。
黒石津軽氏は文化6年(1809年)津軽親足のときに一万石に加増されて大名に列して明治まで続いている。
平内代官所は小湊駅の南側、平内町歴史民俗資料館などがあるところに築かれていた。
平内町歴史民俗資料館前に案内板が設置されている。南から西側に土塁が残されており、これは代官所時代の遺構という。