慶長5年(1600年)上杉景勝によって築かれた。徳川家康率いる会津討伐軍を迎え撃つために馬入峠に設けた防塁である。
幕末の戊辰会津戦争では新政府軍を迎え撃つために会津軍がこれを利用し、周囲に塹壕を設けた。
馬入峠防塁は馬入峠を挟んで北東と南西の両側に土塁と堀を設けている。峠の部分には内桝形があったが、これは車道によって破壊され、内桝形のわずかな土塁が残るのみである。
南西の防塁は堀底から土塁まで高さ5m程で横矢が架かるように適度に屈折させて続いてる。北東の防塁は直線的に伸び、先端がl字に曲がっている。この防塁の北側の尾根付近に幕末に築かれた塹壕が点在する。
馬入峠は南の天栄村から行くのが良いだろう。峠まで舗装された車道が通じる。郡山側の道は不明だか、訪れたときは土砂崩れで通行止めの案内がなされていた。