築城年代は定かではないが赤坂氏によって築かれたと云われる。 赤坂氏は石川氏一族蒲田氏の庶流で赤坂村に住んで赤坂氏を称し、はじめ広畑館を築いたが、後にこの赤坂館を築き居城とした。
赤坂氏が赤坂館を居城とした時期は定かではないが、赤坂光政の頃と考えられ、その後は光憲、綱光、貞光、政光、朝光と続いている。赤坂氏は当初石川氏に従っていたが、文明16年(1484年)には白河結城氏に従い、政光の時代には常陸の佐竹氏に従っていた。
慶長7年(1601年)赤坂朝光は佐竹氏に従って出羽国秋田へ移っている。
赤坂館は鮫川村役場の西に聳える標高491mの館山に築かれている。現在は公園として整備されている。
赤坂館は山頂を主郭として山全体に曲輪を配している。山全体にほとんど木がなく、遠くからでも遺構の凹凸がはっきりと見て取ることができる。ただ一部林道によって遺構が破壊されているのは残念であるが、全体としては良好である。
東の山腹にある公民館のところが居館跡で、こちらがわには無数の段曲輪が設けられている。
各方面から登山道があるが、南の国道沿いにある『手まめ館』に車を駐めて登った。
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