築城年代は定かではない。文明10年(1478年)に太田道灌に攻められて鉢形城を逃れた長尾景春が塩沢城と熊倉城を築いたと伝えられる。
長尾景春は文明12年(1480年)に日野要害を太田道灌に攻められて敗れ、武蔵を追われたが、この日野要害をこの熊倉城(日野城)とする説と日尾城とする説がある。
熊倉城は熊倉城の北に聳える標高648mの城山に築かれている。背後の峠まで車で簡単にいくことができるので、車の場合はお手軽に散策することができる。
熊倉城は山頂に主郭があり、大きな方形の曲輪で南北両側を空堀で遮断し、空堀に面して土塁が付いている。北と南の中央に虎口があり、南は土橋、北はおそらく木橋となっていたようである。主郭の南にある曲輪を二郭とするが、自然地形の緩斜面となっている部分が多く切岸も曖昧である。ただ、ここから南へ伸びた尾根には二条の堀切が残る。
主郭の北にも削平の甘い三郭がある。三郭の先には弓形の空堀に土橋が架かっており、その先から竪堀が落ちている。
武州日野駅近くの荒川中学校入口交差点から白久駅まで舗装された林道があり、城山山頂南側の峠部分に駐車することができる。
最寄り駅(直線距離)