築城年代は定かではないが延元年間に能城勝光によって築かれたと云われる。
能城氏は湯川光政の弟次郎勝光が能城に土居を構えて住し、能城氏を称した事に始まるという。永禄5年(1562年)能城勝重は小松原城主湯川直光に従って河内国飯盛合戦で三好勢と戦ったが直光は討死した。天正13年(1585年)秀吉による紀州攻め以降、能城氏は帰農したという。
能城城は熊野川に赤木川が合流する地点のすぐ近く、赤木川に沿って北へ細長く伸びた丘陵に築かれている。
南端を最高所として北へ向かって小さな段曲輪が続いているが、北端の部分がやや広く土塁も付いて開口部がある。最高所の南背後は大きな切通となっているが、本来は堀切があったものと推測される。
国道から南へ入ったところにある空き地の奥に案内板が設置されている。城跡へは北端からよじ登るか南の切通側から入ることができる。