逐次用年代は定かではない。 康正2年(1456年)に武田信長が上総に進出した際には椎津城が築かれ、真里谷武田氏の属城となっていた。その後一時小弓公方に奪われていたが武田氏が奪還している。
天文21年(1552年)里見氏は上総に侵攻して椎津城を攻め、真里谷信政は北条氏に援軍を求めて里見氏と戦ったが敗れて自刃した。 その後、里見氏の属城となった椎津城を巡って北条氏と里見氏が激しく争ったが、天正5年(1577年)頃には北条氏属城として定着した。天正18年(1590年)豊臣秀吉により小田原征伐で北条氏は滅亡し廃城となった。
椎津城は椎津川の河口にある台地の上に築かれている。 現在、台地の上は宅地や畑となっているが、八坂神社の南側の丘陵に土塁を伴う主郭、虎口、南背後には堀切が残る。