詳細不明。築城の主体はわかっていないが、鎌倉時代にこの辺りを支配したのは南部氏で、南部氏が奥州へ拠点を移した後は穴山氏が支配した。
南部城山は南部中学校の西に聳える標高230m程の山に築かれている。一応城山公園となっているが、ほとんど整備されず山林になっている。
南部城山は最高所の部分から北と北西に伸びた尾根に曲輪を展開しているが、最高所から北西側に伸びた尾根の曲輪群は切岸も低く、削平も甘い部分が多く、城の主郭となるのは北峰のようである。
北峰の主郭は櫓台があり、南背は深い堀切、北下にも竪堀を設けている。北尾根の先端部に烽火台と伝えられる曲輪があり、ここにだけ案内板が落ちていた。
東麓にある妙浄寺が南部氏の菩提寺で、近くには新羅神社がある。
新羅神社から登ったが、公園の遊歩道は南部中学校の脇から山を越えていく途中にある。この登山口の近くに駐車場もある(地図)。
最寄り駅(直線距離)