築城年代は定かではないが平安時代末期に古郡氏によって築かれたのが始まりとされる。
古郡氏は武蔵横山党の一派で忠重を祖とする。建保元年(1213年)和田義盛の乱に同調して滅亡し、替わって加藤兵衛尉に与えられた。
郡内加藤氏は甲斐守護武田氏に従って戦国時代まで続いた。加藤丹後守景忠は天正3年(1575年)長篠合戦で討死したと推測され、その子信景は天正10年(1582年)武田氏滅亡に際して武蔵箱根ヶ崎で討たれ、郡内加藤氏は滅亡した。
内城館は現在地表面に遺構はなく、中央道の北側にある小さな稲荷神社の境内に案内板が設置されているのみである。