築城年代は定かではない。『甲斐国誌』によれば、南部行光の三男南部実長が築いた城としているが、南部実長の館はここから離れた波木井氏館にあったことから、疑問を持たれている。
大永年間(1521年〜1528年)に駿河今川氏の武将福島正成が甲斐へ攻め入ったとき、波木井実長の末裔である波木井義実が城主であったが、義実は今川氏に通じていたことから武田信虎によって攻め滅ぼされ、この波木井城も廃城となったという。
波木井城は富士川西岸の山の上に築かれている。現在城跡一帯は畑や宅地となっており、遺構は明瞭ではない。
波木井城の石碑と案内板が行き止まりの道路の先にあり、ここまで道標が付いている(地図)。
城域はここから西の山上部分であるが、ほとんどが畑になっている。西から来る道路がそのまま城内へと通じているが、この入口部分が「土門」と呼ばれている。
石碑と案内板のあるところまで車で行くことができる。
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