嘉永3年(1850年)宇和島藩によって築かれた。 設計は高野長英によるもので、完成後に試し撃ちが行われ、10発中9発が標的近くに命中するほど優秀であった。据え付けられた砲台は二門でシャクリウチ砲と呼ばれる種類のものであった。
久良天嶬鼻砲台は深浦湾の南に突き出した天嶬鼻に築かれている。
小高い岬の上に築かれた台場で石積された砲台跡が残されている。台場から南の海岸に降り、南へ歩いて行くと海岸沿いに石垣が残っている。この石垣は砲台の番人や砲術師などが住んだ屋敷跡で「天嶬の砲台場石塁」として町指定史跡になってる。屋敷は明治維新のときに番人であった日土の久右衛門の子孫に払い下げられ現存しているようである。
久良から天嶬鼻の先端まで県道が通じているが、非常に道が狭く、片方は岩を削った垂直の壁、もう片方はガードレールもない海側の崖と大きな車だと壁に摺りそうな程の道が続いている。砲台の案内板があるところには駐車が可能であるが、そこにたどり着くまでは、ほとんど離合スペースもない。