築上年代は定かではない。承応年間(1652年〜1654年)に米良則重によって築かれたとも云われる。
米良氏は菊池氏の末裔を称し、戦国時代には村所城を居城としていたようである。豊臣秀吉の九州仕置きでは米良山領はどの国に属するかも確定していなかったが、江戸時代になると米良山領は人吉藩相良氏の附庸として米良氏が治め肥後国に属した。米良山領は表高なしの無役であったが、参勤交代をともなう交代寄合として五年に一度の参府がゆるされた。
明治になると人吉県、さらに八代県へと編入されたが、その後日向国美々津県へ再編されている。
小川城は小川川の北側にある高台に築かれていた。学校跡地が小川城跡で、校舎の西側に石碑がある。また東側へ進むと米良(菊池)氏の囲墓地、川を挟んだ西側には澤水墓地がある。
小川城址公園が西側にあり、ここは民俗資料館となっているが米良氏の隠居所らしい。