築城年代は定かではないが北原氏によって築かれたのが始まりとされる。
北原氏ののち伊東氏の城となって城主は米良筑後守となり、伊東氏48城の一つとして数えられた。
元亀3年(1572年)木崎原合戦で米良筑後守は討死、弟米良美濃守が城主となるがに島津氏に降った。島津氏は新納伊豆守を城主にしたという。
野首城は三之宮峡に面した台地の東端に築かれている。
主郭は西側最高所の部分で南北二段になって南に方形の窪みがあり虎口のようである。土塁は北側に一部だけ高く残っている。北側は大規模な二条横堀で、西側は堀切1と平行して二重堀切になる。
主郭の東に堀切3を挟んで曲輪IIIがあり南に帯曲輪が付く。さらに東端北側に堀切4があり、その先は小規模な削平地群Vがある。
南尾根には堀切5を挟んで曲輪IVがある。かなり改変されているが、道路を挟んだ南側に連続堀切6が確認できることから曲輪である。連続堀切6の南側のピークは若干加工した丘陵になっているが曲輪かどうかは不明である。
入口に標柱があるのでわかりやすい。車は手前の水道施設側に続く道路沿いあたりに駐める事ができる。
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