築城年代は定かではない。建久年間(1190年〜1198年)頃に地頭弁済使であった安楽平九郎為成によって築かれたとも云われる。
その後志布志城主新納氏の出城となり、天文7年(1538年)豊州島津忠朝が攻め落とし、天文13年(1544年)肝付兼続の所有となったが、すぐに豊州島津氏が取り戻す。永禄5年(1562年)肝付氏が再び攻略したが、天正4年(1576年)島津氏が志布志一帯を領有し、天正5年(1577年)鎌田政近が志布志地頭となり廃城となったという。
城は安楽川に面して北西に突き出した丘陵に築かれている。
市指定史跡として駐車場まで完備しているのだが、現在はまったく整備されていないようで、主郭や二の丸は完全に薮に埋もれ、かろうじて空堀と土塁の一部を確認できるにすぎない。
安楽小学校から北上し山宮神社を過ぎて直ぐの道を左折して北西へ降りて行くと、途中左側に駐車場がある。
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