元弘3年(正慶2年)隠岐へ流されていた後醍醐天皇を迎えた名和長年が船上山に挙兵し、鎌倉幕府が派遣した討伐軍と戦ってこれを退け、鎌倉幕府は足利尊氏と新田義貞によって滅ぼされ、後醍醐天皇は名和長年などに護衛されて京へ帰還した。
船上山は古くから栄えた山岳寺院で金年寺があった。南東側から望むと屏風岩と呼ばれる切り立った断崖が見え天然の要害であるように見える。しかし、山の上は比較的平坦である。
山上には土塁で区画された坊跡が数多く残っており、これらは大山寺末寺の僧房跡と考えられている。後醍醐天皇の行宮跡ははっきりとしていないが、船上神社の奥宮の近くであったと推定され、そこに案内板が設置されている。
明確な城郭遺構は少ないが、北東からの参道の入口に木戸跡があり、この部分は石積された堀切が残っている。
登山道はいくつか整備されているが、東坂登山口から登った。登山口(地図)には駐車場があり、ここからの道は比較的なだらかな山道である。