肥前 野母遠見番所ひぜん のもとおみばんしょ
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寛永15年(1638年)江戸幕府によって築かれた。 島原の乱の後、鎖国政策をとった江戸幕府は老中で武蔵国忍藩主であった松平信綱の主導で遠見番所が整備され、外国船の監視を行った。
野母遠見番所は野母港の西に聳える標高198.4mの権現山山頂に築かれていた。 現在は山頂近くまで車道が通じ、山頂は展望台として整備されている。公園化されていて遺構の状態は不明だが、二段ほどの平場があり、最高所には円形に石積された烽火台のようなものがある。
権現山展望公園まで車道がある。