築城年代は定かではないが黒川氏によって築かれたと云われる。黒川氏は三浦和田氏の一族で、黒川館に拠点を置き、中条氏とともに勢力を延ばした。御館の乱では上杉景虎方に付いたが、後に降伏し、上杉氏の会津移封に従って移り廃城となった。
黒川城は黒川館の東背後に聳える標高301mの山に築かれている。現在は登山道が整備されている。
黒川城は標高301mの山頂から南西尾根先の標高203.8mの辺り一帯までを城域とする大きな城で、尾根伝いに曲輪と堀切を設けている。
曲輪は小規模なものが殆どであるが山頂の主郭付近にはやや広い曲輪が拡がる。山頂部の曲輪は二重堀切から始まり、途中には石積を伴う土塁などの遺構もある。
登山道の入口は南西麓の県道沿いにある。道ノ駅「胎内」に駐車可能で、そこから橋を渡り右へ曲がる。100m程進むと山側に黄色い鉄塔整備用の看板が出ている。ここから山側へ入ると黒川城登山道の道標がある。
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