越中 南保城えっちゅう なんぼじょう
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詳細不明。寛永年間(1624年〜1644年)には南部弥五左衛門が足軽十人を付けられ、この館に住んだという。また、平安時代末期の寿永年間(1182年〜1185年)に源義仲に従った南保二郎家隆が住んだ所とも云われる。
現在は宅地や田畑となって遺構は残っていない。規模は南北32間、東西40間程で四方に幅4間程の堀を巡らし高さ1間5歩の垣上げ土居があったという。