詳細不明。『山内六ヶ村由来記』では小野寺式部を城主とする。『奥羽永慶軍記』巻24「西馬音内勢、矢島に後詰の事」では西馬音内小野寺氏の家臣として田代三左衛門尉が二十余名にて駆け付けている。
田代城は石沢川西岸の標高320m程の山、旧長谷山邸の背後に築かれている。
曲輪は南西の最高所から北東へ伸びた尾根に向かって伸びており、中間地点にある櫓台状の土壇の北東下に城内で最も大きな曲輪がある。これらの曲輪群を山から切り離すように西から北にかけて横堀を巡らせ、北は特に横堀から畝状竪堀を配している。この畝状竪堀群の東側に張り出した曲輪があり横矢が掛かる構造になっている。西尾根を遮断する堀は横堀を含めて多重になっており、尾根は二重堀切で遮断している。また、曲輪群の北端部は腰曲輪と数条の竪堀で処理している。
一方南東側の側面は最高所の曲輪から段々と続く帯曲輪群となり、竪堀や横堀といった遺構はない。
南から北へ旧長谷山邸を過ぎて歩いて行くと左手の山に鳥居が見ある。これの少し手前を山に入ると城内に続く山道がある。