築城年代は定かではないが南北朝時代に小国氏によって築かれたと云われる。
南北朝時代に小国兵庫頭は南朝方として活躍しており、この頃には小国城が築かれていたと考えられている。
天文6年(1537年)〜天正6年(1578年)まで城主であった小国因幡守は五百石を領し、この因幡守の時代に本郭的な城館へと改修された。
その後の動向は定かではないが、庄内地方は大宝寺氏から上杉氏、そして最上氏へと領主が替わり、元和元年(1615年)の一国一城令によって廃城となった。現在残る遺構は上杉氏の時代に改修されたものと推測されている。
小国城は小国集落の南西に聳える標高348.5mの楯山山頂に築かれている。現在は国指定史跡として整備されている。
小国城は山頂の本丸から東に二の丸、三の丸、大きく降って駒立場、西に西大屋敷という曲輪で構成されている。
本丸は土塁囲みで東に食い違い虎口を開く。搦手は南西側にあり、西から北側を巡る帯曲輪を経て、大手虎口東下にある腰曲輪へと繋がっている。二の丸は本丸の東下にある曲輪で、本丸側に虎口があり、本丸と二の丸の入口がちょうど分岐するようになっている。三の丸は二の丸の東下に位置し、虎口は通路正面に土塁を設けて右折れで入る形になっている。
三の丸から駒立場に降りる尾根には小段が設けられ、通路はそれを蛇行しながら登る道になり、途中には堀切を通っている。駒立場は北東へ伸びた細い尾根の付け根にあり、登山道が尾根上に登ってくる位置になっている。ここは内側が大きく窪んで両側が土塁のようになった地形になっている。
本丸の南西下にあるのが西大屋敷で本丸との間に大堀切がある。その名が示す通り城内で最も広い空間で小さな段が付いてる。南西側に桝形状の小さな段があり、虎口のようでもあるが、外側は藪ではっきりしない。
県道348号線から小国集落に入る道を南下すると登山道入口の道標が建っており、入口に駐車場がある。
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