築城年代は定かではないが大永3年(1523年)大川(大河)三郎二郎宣長によって築かれたと云われる。
大川氏の出自は詳らかではないが、鎌倉時代から続く土豪で、南北朝時代には大河将長などがいた。
戦国時代には上杉謙信に従い、大川駿河守忠秀は永禄4年の第四次川中島の合戦で討死している。
大川城は大川に沿って伸びた山塊に築かれている。現在は本丸まで登山道が整備されている。
大川城は麓にある居館部分とその背後から連なる山城からなっており、約900m程の規模がある。居館部は北端の麓にあり、一段小高くなった部分で「藤懸り館」と呼ばれ、現在は公園となっている。この部分には池や堀が残る。
居館の背後から延々と標高140mの峰まで続くのが山城で、途中にある鉄塔から北の部分と南の部分に大別できる。この間に土塁が付いた曲輪や堀切などが続いているが、あまり見応えはない。一番奥の標高140mの曲輪の背後には大堀切がある。
近くにある高岩寺は大川城を築城した大川三郎二郎宣長が天文3年(1534年)に開基したといわれ、その碑が境内の向かいにある墓地の一角にある。
登山口は北の県道沿いにあり、「古館」などの名称で道標が出ている。ここから入った所にある公園が居館跡で、「古館城址 登山経路案内」などが設置されている。
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