築城年代は定かではないが三浦氏によって築かれたと云われる。 山内氏は相模国三浦発祥で甲斐国の三浦氏の流れを汲むと云われ、大河兼任の乱で海道の大将として千葉常胤が派遣されたときに従ってきたともいう。
戦国時代には三浦氏は浦城・山内城・馬場目城に別れ、山内城は山内采女正秀兼が城主であったが、天正17年(1589年)檜山安東氏と湊安東氏による争いで、湊安東氏に与したために滅亡した。
山内城は道の駅「五城目」から東へ約1km程にある小倉温泉の北背後に聳える標高102m程の山に築かれている。
主郭は北東の最高所標高102m程の所にあり、そこから南へ伸びた尾根に大きな曲輪群を配している。谷を挟んだ西側にも北端を最高所として南へ伸びた尾根に曲輪群、さらに北西へ伸びている尾根にも小規模な曲輪群を配しており規模は大きい。
主郭は北端に土壇を配して北尾根に堀切を設け、南に大きな曲輪を配している。南端も一段高く西側に土塁を設けている。
主郭から谷を挟んで西にある曲輪群は北端の曲輪を最高所として南に向かって段々と曲輪を連ね、南端は堀切を挟んで小曲輪群がある。西の山腹には横堀から連続竪堀を設けており、竪堀はやや大きいが短い。
北西に伸びた尾根は二箇所の小ピークに小さな曲輪を設け、尾根は堀切で遮断しているが北西端は急斜面のためか堀切では遮断していないようである。
南麓にある国道285号線沿いに案内板が建っている。この新道と旧道の間に車を駐めることができる。
登山道は小倉温泉の駐車場からあり、主郭部と西の曲輪群の間を登っていく道が付いている。これを登ると「山内城一族郎党慰霊塔」が建っている。
最寄り駅(直線距離)