築城年代は定かではない。城主は五條(五条)氏で、南北朝時代に征西将軍懐良親王に随行して九州に下向した五條頼元からはじまるとされる。
戦国時代には五條鎮定が豊後の大友宗麟に従っており、天正12年(1584年)には黒木氏の猫尾城を攻め落とすなど活躍した。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州平定ののち、大友氏が豊後を安堵されると、五條氏は大友氏に従って玖珠へ移る。大友氏改易後は加藤清正に仕え、子孫は立花宗茂が柳川藩主として復活すると立花氏に仕えている。
高屋城は標高642.5mの城山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
山頂部は東西に長い尾根で曲輪の造成は甘く、緩やかな傾斜で続いている。西端部分に無線塔が建っていて改変されているが、西側に一段下がったところに曲輪IIが設けられている。
城域の西端部分には竪堀状地形がいくつか確認できるが、自然地形か遺構か判別が難しい。明確な遺構は東端にある堀切1である。
登山道は北の旧矢部小学校のところと、南東の惣見集落から登るルートがある。
北の旧矢部小学校側から登ったが、最初に山腹を横移動するあたりの道が歩きづらい。惣見集落側は無線塔の管理道になっているようで歩きやすいようである。
黒木町大淵に五條邸(市指定文化財)がある。