築城年代は定かではない。朝日岳城築城の際に宿舎として利用されていたことから、この時期には何らかの施設があったようである。
江戸時代なると岡藩領となり、文禄3年(1594年)深田忠豊が宇目郷惣支配職に任ぜられ、以降代々世襲して明治に至っている。この深田氏は栂牟礼城主佐伯氏の重臣であったという。
酒利館は現在の酒利交流施設(公民館)の地に築かれていた。 『日本城郭大系』には現存していた殿舎の写真が掲載されているが、現在はないようである。
入口の脇には「宇目郷代官跡」の石碑があり、道路に面した石垣は当時のものだと思われる。