築城年代は定かではないが安宅氏によって築かれたと云われる。 淡路安宅衆の一人湊安宅氏の居城と云われる。
湊城は現在の湊小学校から東へ伸びた丘陵の裾に築かれている。 現在は個人宅になっているが、江戸時代に庄屋を勤めた家だという。
湊城は西背後に堀切を設けて台地と切り離し、それに面してコの字状に土塁を設けているという。土塁の北西隅と南西隅には櫓台があり、「天尊台」とか「天守台」と呼ばれていた。堀切の西側には「安宅明神」とか「安宅殿の墓」と伝える一石五輪塔が残り、江戸時代の記録では大永六丙戌年五月廿五日と刻まれていたという。
現在は個人宅ということで詳しくは見ていないが、背後の安宅明神の所には「湊城跡と城の殿」という石碑が建ち、背後の堀切は確認できる。
県道25号線から湊小学校に入る道の西側にある家が城址です。入口から県道を少し西に行くと空き地があり、その辺りから背後の堀切が見える。