飛騨国分寺ひだこくぶんじ

城郭放浪記


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飛騨国分寺の写真
文化財指定
国指定史跡
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説 明

飛騨国分寺は現在の真言宗国分寺の境内一帯にあった。 天平13年に建立された塔婆は弘仁10年(819年)火災より焼失、斉衡年間(854年〜857年)頃に再建された。応永年間(1394年〜1428年)にも兵火にかかり、戦国時代には金森長近が松倉城を攻めの兵火で五重塔が焼失した。江戸時代になると金森氏が再興を助けて本堂を修築し、元和元年(1615年)には三重塔を建立した。この三重塔は寛政3年(1791年)に大風によって倒壊し、現在残る三重塔は文政4年(1821年)に再建されたものである。

境内に残る七重塔跡が国指定史跡、本堂は室町時代の建築で国指定重要文化財、薬師如来、聖観世音などが国指定重要文化財となり数多くの文化財が残る。

飛騨国分寺の写真
14:三重塔
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13:鐘楼門
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20:本堂
所在地/地図
岐阜県高山市総和町1
関連史跡(直線距離)
0.6km 一宮・水無神社
0.6km 総社・飛騨総社
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