一領具足供養の碑いちりょうぐそくのひ
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慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で土佐の長宗我部盛親は西軍に与して改易となり、代わって山内一豊が土佐一国に加増され、遠江国掛川より入部した。しかし、浦戸城に残る長宗我部の旧臣は明け渡しを拒み、五十日もの間籠城して抵抗したが尽く討ち取られた。この籠城した長宗我部旧臣の胴体を埋葬した地に石丸塚が建立、後に石丸神社として今に続いている。
『一領具足供養の碑』は浦戸小学校の東、県道14号線から桂浜へ向かう途中にある。神社の中に車を駐める事ができる。