長宗我部元親は土佐の戦国大名で、天文8年(1539年)長宗我部国親の嫡男として岡豊城に誕生したと云われる。永禄3年(1560年)長浜合戦で初陣を飾り、家督を継ぐと土佐を平定。その後は四国全土に兵を進めて大半を平定するが、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐に敗れ、土佐一国を安堵された。
天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐に嫡男信親とともに従軍するが、戸次川合戦で島津軍に大敗を喫し、嫡男信親をはじめ多くの家臣を失った。慶長4年(1599年)京都の伏見で病没した。
長宗我部元親の墓は県道34号線から少し中に入った所にあり、山の山腹にある。県道沿いに道標が出ており、入口は狭いが、車でそのまま中へ入っていくと一番奥に墓地への入口があり駐車できる。登り口には浦戸一揆で戦死した兵士の塚が移されている。