長宗我部信親は土佐の戦国大名長宗我部元親の嫡男で、永禄8年(1565年)に誕生した。 天正13年(1585年)長宗我部氏は四国をほぼ手中に治めていたが、豊臣秀吉の四国征伐に敗れて土佐一国を安堵された。
天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐には父元親とともに信親も従軍したが、豊後国の戸次川合戦で島津軍と戦って敗れ、父元親は逃げ延びることができたが、信親は討死した。
長宗我部信親の墓所は四国霊場第三十三番札所雪蹊寺の境内にある。本堂と太子堂の間を潜って奥へ進むと長宗我部信親の墓や戸次川合戦の戦没者供養塔、月峰和尚の墓がある。