三浦道寸の墓みうらどうすんのはか
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三浦道寸こと三浦義同(よしあつ)は平安時代末から続く三浦介を名字とした三浦氏で、家督を子の義意に譲ってからは岡崎城に居た。小田原の伊勢宗瑞と敵対し、永正9年(1512年)には岡崎城を攻められ、さらに住吉城も落とされると道寸は道意のいる新井城へと退き、これに籠もって戦った。約3年に及ぶ籠城戦であったが、永正13年(1516年)落城し、道寸は自刃して果て、子の義意も自刃し三浦氏は滅亡した。
三浦道寸の墓は新井城の一角にあり、京急油壺マリンパークの入口から細い道を北へ進み下に降りた所にある。