三浦道寸の墓みうらどうすんのはか

城郭放浪記


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三浦道寸の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

三浦道寸こと三浦義同(よしあつ)は平安時代末から続く三浦介を名字とした三浦氏で、家督を子の義意に譲ってからは岡崎城に居た。小田原の伊勢宗瑞と敵対し、永正9年(1512年)には岡崎城を攻められ、さらに住吉城も落とされると道寸は道意のいる新井城へと退き、これに籠もって戦った。約3年に及ぶ籠城戦であったが、永正13年(1516年)落城し、道寸は自刃して果て、子の義意も自刃し三浦氏は滅亡した。

三浦道寸の墓は新井城の一角にあり、京急油壺マリンパークの入口から細い道を北へ進み下に降りた所にある。

案 内
最寄り駅(直線距離)
2.4km 三崎口駅
4.6km 三浦海岸駅
6.2km 津久井浜駅
7.3km 京急長沢駅
8.5km YRP野比駅
所在地/地図
神奈川県三浦市三崎町小網代
付近の史跡(直線距離)
0.1km 三浦義意の墓
9.8km 伝佐原義連廟所(満願寺)
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