すおう・みつおだけじょう

周防・三丘嶽城
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三丘嶽城の写真 写真館(148枚)
  形態  
山城(319m/300m)
  歴史  

築城年代は定かではない。大内氏の御番城といわれ城主については詳らかではないが、桂兵部少輔元親、三丘隼人之介、倉田治部大夫、井原四郎兵衛などが「防長風土注進案」にあげられているに過ぎない。

桂兵部少輔元親は桂能登守元澄の三男。 倉田治部大夫は三丘城山に城を構え元就公に敵対して攻め落とされたと伝えられる。 井原四郎兵衛は安芸国鍋谷城主三尾四郎兵衛尉元尚のことで、萩藩閥閲録巻40 井原藤兵衛の項33に「就高水城番之儀」云々とあり、三丘嶽城の城番を務めていたことが確認できる。

  説明  

三丘嶽城は島田川西岸に聳える標高318.8mの城山山頂に築かれている。 山頂から南北を主軸とする曲輪群と東下から北東へ連なる曲輪群、南に連なる曲輪群で構成されており、石積が所々に残っている。

主郭は山頂にあり、北に一段、南へ三段の曲輪がある。南北を主軸とするこの曲輪群は巨石群を有効に利用した曲輪で、山頂の南にある石には建物の柱を置いたと見られる加工が残っている。

主郭の東下からは北東に伸びた尾根と南の尾根に曲輪群がある。

北東の曲輪群は北側に竪堀状に削り落とした竪堀と土塁がある他は、先端の堀切まで堀はなく、広い削平地が段々と連なっている。北東先端の標高270m付近に二条の堀切があり、城内側が深く、外側は浅い堀切になっている。その先は細尾根になっているのでこの辺りが北端と思われる。

東下から南へ伸びた曲輪群は他の曲輪群に比べ石積が多いが小段が連なる。南端は薮が深く確認できていない。

主郭の西下に小段と堀切が一条あるが、西の平家ヶ嶽に至る尾根は細尾根にはなっているものの、堀切などの防御施設はない。

城山の南麓にある曹洞宗貞昌寺は三丘嶽城の大手門があった辺りともいわれ、関ヶ原合戦後に防長二カ国に減封となった毛利氏の家臣で、安芸国生城山城主天野元政(元就の七男)がこの三丘へ移ったときに居館を構えた所という。その後、元政は毛利姓に復姓して右田へ移り、替わって一門筆頭の宍戸広匡が三丘へ移っている。

  案内  

南麓にある貞昌寺の辺りから大手道の登山道があるはずですが入口はわかりませんでした。今回は北側にある県道142号線からで、玖珂郡と熊毛郡の郡境(現在の岩国市と周南市との境)にある鉄塔整備用の入口を利用しました。ここから登ると一度城山の西の峰、標高300mの平家岳に至り、そこから尾根伝いの道で城山に通じている。城山の南から尾根伝いに降りていく道が二本あり、どちらかが大手に繋がっているはずですが確認できていません。

 所在地 
山口県周南市大字小松原字末広(城山)
付近の城址
8.3km 周防・鞍掛山城
8.7km 周防・石城山神籠石
9.1km 周防・蓮華山城

※距離はおおよその直線距離です。
海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。



最終訪問日
2011年1月

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