正和元年(1313年)に阿仁和兵助基保によって築かれたと云われる。
阿仁和基保は京都在任中にお告げを受け、一族郎党を引き連れて関東へ移り、新田氏の配下となってこの地に住み、城を築いたと伝えられる。
二代阿仁和直家のとき、秋山城酒秋山継照に攻められ樋口河原で討死し、城は落城したという。
仲山城は標高280m程の山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
単郭の城で山頂にある主郭は東側に一段高いところがあり祠が祀られ、広く低い部分に東屋が建てられている。主郭の北と南にそれぞれ一条堀切があるだけのシンプルな構造である。
南の国道からの入口に「野上下郷石塔婆」という日本一の青石塔婆がある。これは阿仁直家夫人が応安2年(1369年)に十三回忌の追善供養のために建立したものである。
登山道入口は「野上下郷石塔婆」から北の集落に入っていくと右側に入口の道標がある。ここから歩いて登ると北の鞍部に到達し、そこから山に入ると主郭に達する。
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