築城年代は定かではないが文安2年(1445年)頃に依田忠政によって築かれたと云われる。依田忠政は信濃国御嶽城主で、永禄年間(1558年〜1570年)の城主は依田光慶で箕輪城主長野業政の娘を娶っていた。
永禄9年(1566年)箕輪城が武田信玄によって攻略されると依田氏は没落し、永禄10年(1567年)新田信純が信玄より一千貫の領地を与えられ城主となり、後閑氏を名乗った。
信純はその後信玄の命によって甲斐の名族上条氏の名を継いだ。信純の子重政・信久・信重は上条を継いだもの、総社を領して石倉城を守ったもの、後閑氏を継いだとされるが、いずれがどのようになったのかは諸説あって定かではない。
武田氏が滅亡した後は北条氏に属し、上条氏から後閑氏に復姓して両後閑と呼ばれ、松井田城・厩橋城に籠ったという。