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写真館(49枚)
- 別名
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新山城
- 形態
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山城(256m/-)
- 歴史
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平安時代に平忠度が築いたとの伝承があるが定かではない。
永禄6年(1563年)毛利元就による出雲侵攻で尼子氏の居城月山富田城の重要な支城である白鹿城を攻略するための向城として吉川元春が築いて陣を置いた。
白鹿城攻略後は真山城をこの地方の拠点とし、多賀元信を城主とした。
永禄12年(1569年)毛利氏が兵力の大半を率いて豊後大友氏との戦いに向かうと、再興をはかった尼子勝久は隠岐を経由して忠山城に入り、勝久は各地に激を飛ばして将兵を集め、真山城を落としここを本拠として出雲回復を狙う。
尼子方は月山富田城を囲んだが、天野隆重の謀略により落とすことができず、毛利方が九州から帰国すると次第におされ、元亀2年(1571年)真山城も吉川元春の攻撃により落城し、尼子勝久は織田信長を頼って落ちた。
- 説明
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城は白鹿城の北東、白鹿谷を囲むように山が連なるうちの東側の真山にあり、南北に細長く伸びた山に曲輪を連ねる縄張であるが堀切がないのも特徴。
「三の床」と呼ばれる曲輪には野面積の石垣が残り、そこから続く曲輪群は虎口を右に左に変えながら延々曲輪内を通っている。
主郭は「尼子勝久公之碑」と刻まれた石碑の建つ所で、その背後にも曲輪群は続き急激に降る手前の曲輪は、北側を削り残して土塁のようになっている。
このまま進めば西側の山を経て元の登山口へ戻ることができるのだが、曇空で日没も迫っているため断念した。
西側の山にも「大高丸」、「小高丸」、「馬場」などの名称が付いており気になる所だ。
- 城主
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吉川元春,多賀元信,尼子勝久
- 案内
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白鹿城とともに常福寺付近(地図)の交差点に登山道などの案内がある。登山口はそこから北上し突き当たりの交差点を右にいった所にある。
- 所在地
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島根県松江市法吉町
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※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2007年10月
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