石田三成は近江国佐和山城主で、文禄・慶長の役ともに参陣した。
石田治部少輔(三成) 弐千騎。
石田三成陣は名護屋浦の南にある標高103mの山に築かれていた。 現在は果樹園となっており、遺構の大部分は消滅しているが、北側に土塁が残り、食い違い状の虎口がある。東側には東西に石塁が続いているが、これは後世の改変と思われる。
たまたま果樹園で作業されておられたので許可を得て見学させて頂いた。ときどき若い女性なども訪れてくるという。
南の県道沿いに標柱がある。ここから歩いて行くと果樹園に至る。
最寄り駅(直線距離)