肥前 藤堂高虎陣ひぜん とうどうたかとらじん
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藤堂高虎は紀伊国猿岡山城主で、文禄・慶長の役ともに参陣した。文禄の役の後に伊予国宇和島に転封となっている。
藤堂佐渡守(高虎) 弐千騎。これとは別に藤堂和泉守 三千騎の記載もある。
藤堂高虎陣は標高115.6mの三角点のある峰に築かれていた。
かつては果樹園として開墾されていたようで、それが荒廃して藪化している。遺構も果樹園に伴う造成で主郭部は分からなくなっている。農道脇にある石垣は後世の改変であるが、一部は陣に伴う石を転用しているようである。