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写真館(75枚)
- 形態
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山城(233m/145m)
- 歴史
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築城年代は定かではないが、佐々木定綱の六男佐保時綱が麓に屋敷を構え砦を築いたのが始まりと云われる。
六角氏と京極氏の争いでは境目に位置する佐和山城が標的となり、京極氏に替って勢力を伸ばした小谷城の浅井氏が奪うと、磯野員昌を城主とする。
織田信長が越前朝倉氏を攻ると、浅井氏は朝倉氏と結び、織田氏と敵対する。
危機を脱した織田信長は粘り強く佐和山城を攻め、天正10年(1582年)礒野員昌は降伏し城を明け渡した。
信長が本能寺の変で没すると、明智光秀を討った羽柴秀吉の所有となり、後に石田三成が城主となる。
石田三成が関ヶ原合戦で破れると井伊直政が入封するが、後に彦根城を築き廃城となった。
- 説明
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三成の時代には五重の天守が聳えていたともいわれるが、現状では石垣も本丸東隅の二段の隅石と、南側斜面にわずかに残されているにすぎない。
しかし土塁や堀切、竪堀といった遺構は随所に残されている。
- 城主
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佐保時綱,礒野員昌,石田三成
- 案内
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登山口はいくつかあるようだが、駐車場のある龍潭寺の奥から登る。
- 所在地
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滋賀県彦根市佐和山町
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- 最終訪問日
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2007年11月
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