築城年代は定かではないが南北朝時代に松浦勝によって築城されたと云われる。
延徳3年(1491年)松浦正は峰弘を田平に攻めて城を奪ったことから、有馬貴純が峰弘を援けて平戸を攻めた。松浦正は勝尾嶽城に籠もったが、ここを脱して箕坪城に逃げ込んだ。しかし、箕坪城でも対抗しきれず、大内政弘を頼って海路筑前に逃れた。松浦正は翌明応元年(1492年)大内政弘の援護を受けて平戸に復帰し、松浦弘定と改名している。
慶長4年(1599年)松浦鎮信が日之獄城(後に平戸城)を築いたため廃城となった。
勝尾獄城は松浦隆信の墓所がある正宗寺の背後の小山に築かれていた。
山の上は広く削平され社が祀られているが、特にこれといった遺構は見あたらない。城郭大系によれば、光明寺の近くに「肥前堀」、「筑後堀」と呼ばれる窪んだ地形があり今は道路になっているようである。
正宗寺から山上に続く道がある。
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