築城年代は定かではないが戦国時代に桜井尊房によって築かれたと云われる。
桜井氏は水戸城主江戸氏に従っていたが、天正18年(1590年)小田原征伐の後、常陸の大半の領有権を安堵された佐竹氏が瞬く間に水戸城を落とし、江戸氏方の諸城を攻略すると、飯沼城も落城したという。
飯沼城は川根小学校の南側に築かれている。小学校の南側にある公園が主郭で、北と南に一郭ずつあり、南北に三郭連なる城であったという。
主郭には大日堂があり、案内板が設置されている。周囲には土塁が巡り、空堀跡も残っている。西側にある福性寺は元弘年間(1331年〜1334年)に桜井氏の菩提寺として建立された寺院で、桜井尊房の墓も残るという。
桜井氏の墓はわからなかったが、五輪塔がいくつか残っている。この福性寺の辺りも土塁がある。